天使と悪魔の契約

「おいおいおいおい!」

 慌ただしく開いた教室の扉から飛び込んできたのは、宇野。見慣れた友人の顔に、矢崎はニヒルな笑みを浮かべながら、歓迎の両手を広げた。

「んー、なんだよ。ご機嫌じゃねぇか」
「トランプしようぜ!」

 ポケットに突っ込まれていた新品のトランプを見せつける様に、突き出した宇野に、矢崎は不審げに眉を顰める。
 入学当初からの付き合いであり、帰宅部仲間として放課後を宇野と過ごしてきた時間も半年を越えてきた。が、未だにこのテンションには一瞬戸惑ってしまう。

「……まさか、それだけか」
「ん? 何かおかしいか?」

 そろそろ大人の世界も解禁される手前の男が、持ち込んだトランプにここまでテンションを上げられる。素直というべきなのか、愛すべきバカというべきなのか。矢崎は呆れたように肩を竦めた。
 そんな男と入学当初から一緒にいる矢崎とて、お察しなのだが気付かぬは本人ばかりである。

「いや、まぁいいけど……二人か?」
「二人で!」

 三人と言われてもこの教室には自分たちしかいないのだから、困るのだが。二人で、と言われてもそれはそれで困る。いくつかの遊び方を思いつかないではないが、わざわざやりたいほど面白いかと言われるとノーコメントとしか言えないのが本音だ。

「……何ができる」

 さほど自分と思いついているものは変わらなそうであるが、一応宇野へ確認する。不安になる沈黙の後、静かに宇野は口を開いた。

「……ババ抜き?」

 バカだバカだとは思っていたが、これは流石に斜め上である。とは言え、宇野が真面目に答えたわけではなく、咄嗟に何も思いつかなかっただけだということくらいは、矢崎も分かる。だからこそ、気の抜ける回答へのダメージは、零れた小さいため息程度であった。

「それは二人でやっちゃいけないゲーム代表だぞ」
「おー、そっかー……じゃあハイアンドローとか!」

 数字の高低を当てるシンプルなゲーム。確かに二人でやるトランプゲームで、単純で分かりやすい。バカ野郎二人でやるには丁度いいかもしれない。

「ハイローか……ふむ……」
「お?」

 しかし、ただそれだけでは面白くない。
 トランプ、数字、絵柄、駆け引き、賭けごと。様々なキーワードが矢崎の頭をめぐる。そしてそれは更に一つのキーワードを追加することで形になっていく。

「……少し思いついたことがある」

 ニヤリと悪い顔で笑った矢崎に、若干引き気味の宇野。
 とは言え、こういう時の矢崎の発想が男心をくすぐることを宇野とて知らぬわけではない。心の準備を決めると、前のめりに宇野も矢崎ワールドへと引き込まれていくのであった。

「よし、用意はいいか」
「おう。ハートが天使。クラブが悪魔、な。で、天使の1から6と、悪魔の1から6をシャッフルして一つの山にしたらいいんだな」

 必要なカードだけをトランプの山から引き抜き、新たに山をつくる。わざわざ天使と悪魔を呼称する理由はイマイチ宇野には掴めないが、カッコいいのだろう、きっと。

「そうだ。で、そっから手札をそれぞれ二枚づつ」

 山札からそれぞれ二枚づつ。まだルールを把握しきれていない宇野には自分の手札が、良いのか悪いのか判断もつけづらい。

「オッケー。でさらに山札から一枚をルールカード、世界の理として場に伏せると」

 少し難しそうな顔で手札と、場へ伏せられたカードを交互に眺める。

「それじゃあ、『天使と悪魔の契約』はじめようか」

 そんな宇野に対して、考案者の矢崎はもはやノリノリである。声音も普段より少し低めに作っていた。

「お互い同時に、手札から一枚場へオープン。それが契約の証となる」

 アイコンタクトで呼吸を合わせ、同時に手札から場へカードを開示する。

「悪魔の4!」
「天使の2!」

 場に並べられるクラブの4とハートの2。宇野は悪魔と、矢崎は天使との契約を交わす。
 ここからのルールを確認するように、宇野は矢崎へ視線で説明を促す。

「さぁ、ここからが面白いところさ。契約の次は世界の理を決めようか」

 矢崎は大仰に両手を広げ、不敵な笑みを浮かべる。

「来いよ」

 そんな矢崎の空気にあてられて、徐々に宇野も知らぬ間に拳を握らされてる。

「世界の理をオープン!」

 矢崎によって伏せられた世界の理が明かされる。そこに描かれるのは……。

「世界は悪魔によって動かされる……この場は小さきものこそ勝者である!」

 伏せられていたのは悪魔の3。
 天使は大きいことを、悪魔は小さいことを至高とする。
 天使の2をだした矢崎と、悪魔の4を出した宇野。第一戦の勝者は矢崎が歓喜とともにもぎ取った。

「僕の、勝ちだァァァァ……!」
「……だが勝負はまだ終わらない!」
「そう、2勝するまでが勝負だ。場のカードを一掃して……」

 出した契約カードと世界の理カードを除外し、己の命運を握る山札へ、二人の視線が刺さる。

「手札を一枚追加して……世界の理を新たに一枚セット」

 緊張で乾いた唇を無意識で舐める。そこでようやく自分が高ぶっていることに気付き、宇野は肩の力を抜くように短く息を吐き出した。そして頭の中を整理する。

「場に出たのは悪魔の3、4、天使の2……残りは……」

 山札12枚のうち3枚が除外。手札を改めて眺めるが、それだけでは足りない。
 相手の心理を揺さぶり、さらに情報を得たものが、勝利の女神へ一歩近づくことができるのだ。

「確率的には悪くない数字だけどな」
「そうだな。だがお前はその勝利、掴めるかな」

 一勝したことにより、矢崎は余裕の笑みを浮かべる。もちろんブラフである。このゲームの仕様上、一勝で油断するなど愚の骨頂!

「さぁ……運命を回そう……契約の時間だ!」

 矢崎、もはやゲーム前とは別人だし、何のことかさっぱり分からない。
 だがしかし、この空気はそんな疑問を差し挟ませない。
 宇野にはこの大げさな動きに飲まれながら、矢崎と同時に場へカードを叩きつけた。 
 叩きつける必要はなくても。

「天使の5!」
「天使の6!」

 その僅差に矢崎の表情は歪み、宇野の表情には余裕の笑みが浮かぶ。数字にしてたった1の差。しかしこの世界ではその1が勝敗を分ける。まして6は最強の一角なのだ。

「僕より上位天使、だと……」

 悔し気に歯噛みする矢崎に対し、宇野は余裕の表情を浮かべながらも、内心ではそこまで安堵もしていられない。何故なら。

「油断はできない……悪魔は世界の理をひっくり返す、だろう?」

 この世界は、天使と悪魔の理が、全てだ。大きければ勝つわけではないのだ。場へ出されたカードの種類を考えれば、悪魔でひっくり返ることも十分に有り得る。

「……ようやく、世界を理解したようだな」
「さぁ……戦争しようじゃないか」

 宇野、もはや矢崎の世界観に飲まれている。ノリのいい宇野が悪いのか、濃すぎる矢崎が悪いのか。しかし本人らはいたって真剣なのである。

「世界の理をオープン!」

 矢崎がカードをオープンする。そして。

「天使の3!」
「クッソガァァァァァァァ!!!」
「勝負は分からなくなったようだなぁ!」

 矢崎の怒号が響き、宇野の歓声と挑発が続く。

「ここまで苦戦するとは思わなかったぞ」

 怒りを押し殺すかのように息を吐き出した矢崎に、今度は宇野が余裕の表情を浮かべる番だ。

「次で最後だ」

 もつれ込むのは最終戦。泣いても笑ってもこれが最後の戦い。

「既に4体の天使が揃い、悪魔は2体」

 既に残カードには偏りが出ている。ここからの判断はかなり難しい。

「……新たな世界の理をセット。手札を補充する」

 カードを確認していた矢崎の動きが止まった。驚きと、喜びと、それらは混ざり合って笑いとなって零れる。

「ふっ……はーっはっはっは! 悪いがこの勝負、僕の勝ちのようだ」
「ほう……よほどいいカードが来たようだが……勝負は最後まで分からないぞ」

 だが、宇野とて矢崎の反応から引いたカードくらいは推測がつく。

「悪魔の1!」
「天使の4!」
「ほう……勝負に出たな……」

 推測がつくからこそ、勝負に出るしかなかった。残カード的に悪魔が圧倒的に有利の中、勝負をひっくり返せるとしたら、宇野が勝つには手札で最も大きいもの。この天使の4を出す他なかったのである。
 狙うは、最後の天使。
 最後の世界を、天使で決めることが出来れば。

「お前の反応で、悪魔の1が来ることは目に見えていた……なら俺は勝負に出るしかない!」
「そうだ、お前は勝負に出るしかなかった! だが! 僕は言ったぞ! 僕の勝ちだとなぁ!」

 読み切ったのは……世界を味方につけたのは……。

「ッ……まさか!?」
「そう、そのまさか、さ……世界の理は悪魔しかありえない!」

 何故なら最後の天使は。

「持っていたのか! お前が!」
「はーっはっはっは! 残念だったなぁ! 世界の理オープン! 悪魔の6だァァァ!!」
「クソガァァァァァァ!!」

 勝者、矢崎。

「……という感じだ」

 散らかしたカードを片付けながら「どうだ」と矢崎は宇野へ投げかける。

「結構盛り上がったな」
「だろ? 僕の考えは間違ってなどいなかった」

 悪魔なら小さい数字が勝ち、天使なら大きい数字が勝つ。シンプルで分かりやすいルールだが、だからこそ運と心理が絡み勝敗を複雑化する。
 宇野としてもこれくらいであれば即興で覚えられる。勿論、あれだけノリノリになっておいて、楽しくなかったなどというわけもない。負けた悔しさは勿論残るが。

「にしても……あそこでお前が天使の1持ってるとはなぁ」
「確率的には悪魔の方が可能性はあったし、結果としては妥当だと思うけどな」
「まぁなー……あー、でも思ったより悔しいな。つか、よく咄嗟にあんなの思いついたな」
「天才のひらめきってやつだよ。惜しむらくはカードがトランプってことだけどな……」

 矢崎は少し切なげに片づけられたトランプを見やる。これが天使や悪魔の絵が描かれた専用デザインのものであれば、もっとテンションは上がっただろう。思いついたゲームのポテンシャルを発揮しきれていない悔しさが作者としては、やはり残る。
 そんな矢崎を、宇野は見つめ考える。何度か自分に問いかけ、それは同じ答えを返してくる。即ち。

「……それは作ればいいじゃね?」
「え?」
「いや、俺がカードに絵を描いてくればいいんだろ?」

 絵を描くことは別に嫌いではない。それが他人と比較してどれほどのものかと聞かれると気にしたことがないので分からないが。それでも宇野には人より上手く描ける自負もあった。

「……そんな才能あったのか」
「まぁそんな期待されても困るけど……んじゃβ版作ってきてやるよ」

 唐突に明かされた宇野の特技に、矢崎のテンションが上がってくる。
 思ったのだ。
 自分には考えることはできてもつくることはできない。しかし、宇野が描けるというなら話は違う。頭の中に浮かんで消えるのは様々なゲームの種。実際はもっと宇野と擦り合わせなければならないだろうが、夢は広がる。

「よし! もう少し人数を集めるぞ、宇野!」
「お? おう」

 宇野は訳も分からぬままに合意する。
 しかそれが後に、数々のゲームを生み出す盤上遊戯部の始まりなのであった

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